この時期になると思いだすこと
お正月、親戚が集まる場。
この時期になると必ず思い出す感情がある。
これは、聞こえない子どもだった私が、今だからことばにして伝えられる
心の奥底の部分。
大嫌いだったことば「あとで」
わたしは好奇心が強く、今何が起きているのか?がとても気になる子どもだった。
子どもなんてみんなそうかもしれない。
家族が何を話しているのか?なんで笑ったのか?なんで妹が怒られているのか?
なーーーーんにもわからなかった。
だから、私は「何?」「なんて?」「教えて!」とたくさん聞いた。
大抵返ってくるのは「あとで」の一言。
私はこの「あとで」が大っ嫌いだった。
だって、その「あとで」はいつくるの?
待てど暮らせど来ない「あとで」だってある。
大爆発したお正月、親戚の集まり
中学生のときのお正月。親戚がたくさん集まっていた。なにやら神妙な面持ちでみんなで話してる。小学生だった妹でさえ、ことの重大さを理解しているかのように大人の話に耳を傾けている。
その場でなんにもわかっていないのは私だけ。
聞いても聞いても「あとで」「あとで」「あとで」「あとで」
ブチギレた。机をばーーーーーん!!と叩き、「もういいわ!!!」と怒鳴って
その場から逃げ出した。
泣いた。とにかく泣いた。その時はなにが悲しいのか、何に腹を立てているのかわからなかったけど、とにかく悲しくてムカついて、どうしようもなかった。
いつもそう。聞こえない私たちは何もわからない。
100%わかってないわけではないと思う。
でも、自分が何%わかってるのか、どれほどの情報をキャッチできているのかわからないと、意見や考えを伝えることはできないし、そもそも考えることすらできていなかったんだということも大人になってから少しずつわかってきた。
子ども達の心の叫び
今まで出会ってきた子ども達の話を聞いていると、自分の子どものころを思い出して胸が痛くなることがあります。
家族の中での孤独
私は手話というものを子どもの頃知らなかった。ある意味、幸せだったかもしれない。
小さい頃は疑問を感じながらも、それが当たり前として生きていた。
私が出会ってきた子ども達のほとんどは手話をすでに知っている。そしてそれが自分の言語だということ、手話があれば確実に情報を得られることを知っている。
その子達の家庭環境にもし手話がなければ、、?
お母さんは手話ができてもお父さんができない場合は、、?
私と話したくないの?私を理解してくれないの?
そんなふうに感じている子どもがたくさんいます。うまくことばにはできないけれど。
なぜかって?ことばにするチャンス、伝えるチャンスが今までなかったから。
もしかすると、受け取ってもらえなかった経験を積んでいるのかもしれない、、。
大好きだからこそ言えないこと
手話を覚えてほしい、、その想いを伝えられない子ども達がたくさんいます。
子ども達は本当はもっと話したいんです。くだらない話も、もっと複雑な話も。
でも、言えないんだってみんな言います。それは、、
手話を覚えることが大変なことを知ってるから。
自分が聞こえていれば負担にならなかったから。
お母さんお父さんに迷惑をかけたくないから。
初めはそんな想いかもしれない。
でも、徐々に、、
どうせわかってくれない
どうせ覚えてくれない
どうせわかろうとしてくれない
別にこのままでいい
こんなふうに変化していく様子も実はたくさん見てきました。
本当に悲しい。
子ども達には諦めてほしくないんです。
そして少しでも知ってほしい、私たちの心の叫び。
そう思って今回勇気を出してことばにして伝えてみました。
傷ついてほしいわけではありません。
ただただ、私が感じてきたことや子ども達からのメッセージを届ける努力をしたかったんです。